大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和49年(ワ)6125号 判決

亡甲野太郎訴訟承継人

原告 甲野花子

〈ほか二名〉

右原告三名訴訟代理人弁護士 渡辺和恵

右訴訟復代理人弁護士 南野雄二

被告 乙山冬夫

右訴訟代理人弁護士 清水尚芳

同右 藤井昭治

右訴訟復代理人弁護士 榊原正峰

主文

一  被告は原告甲野花子に対し金八五九万八、二〇九円、原告甲野一郎および同甲野二郎に対しそれぞれ金八四三万八、二〇九円および右各金員に対する昭和五一年五月七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告三名の被告に対するその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを四分し、その三を被告の、その余を原告三名の負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告ら

「(一) 被告は原告三名に対しそれぞれ金一、一二六万一、二四七円およびこれに対する昭和五一年五月七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。(二) 訴訟費用は被告の負担とする。」旨の判決ならびに仮執行の宣言。

二  被告

「(一) 原告らの請求を棄却する。(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。」旨の判決。

第二当事者の主張

一  原告らの請求原因

(一)  事故の発生

昭和四八年一月二三日午前零時一〇分ころ大阪市北区堂島浜通一丁目七八番地先(御堂筋、南行一方通行)路上大江橋北詰めの横断歩道の南端から南方約一五・八メートル、車道西端から東方に約八・六メートル(西端から三番目の車線上)の地点に倒れていた甲野太郎を被告運転の北から南に向かって進行していた普通乗用自動車(大阪三三そ五〇三号、以下被告車という。)が轢過した。その間の事情は次のとおりである。太郎は右事故の直前前記の横断歩道を対面の青信号に従って西から東に向かって歩行していたところ右横断歩道北側で南北に通ずる御堂筋と直角に交差している東西道路(東行一方通行)を西から東に向かって進行して来て同交差点で右折した運転者不明の車両に跳ね飛ばされて路上に転倒し、さらに同様に右折した車両か或いは御堂筋を対面信号を無視して南進して来た車両に跳ねられて前記場所に転倒していたところを被告車に轢過された。

(二)  被告の責任

被告は本件事故当時、酒に酔ったうえ、対面の赤信号を無視し、しかも、被告車の前方二〇メートルの地点に物体があるのを発見したのにもかかわらず、酒酔いによる知覚鈍麻のためにそれが人間であると気付かず、その直前五メートルに至って漸くそれが人間であると気付いたがなんらハンドル操作などの接触回避措置を採りえないまま前記のとおり太郎を轢過したものであるから前方不注視の落度があり、被告はこれらの過失により本件事故を発生させたものである。

(三)  損害

1 太郎の受傷および死亡

頭部外傷Ⅲ型、内臓破裂、その結果前頭葉縮少の器質的変化が生じ、外傷性てんかん症状が発現し、それによるもうろう状態、周期的気分変調、性格変化のいずれか、またはそれらが複合して昭和五一年二月二一日午前四時ころ入院中であった○○○○病院第三病棟新館五号室の右端の窓格子で、自分の首にビニール製の荷造り紐を巻きつけて縊死した。

2 死亡前の治療経過

(1) 入院

昭和四八年一月二三日から同年四月一二日まで長原病院に

同年四月一二日から同年一一月二日まで国立大阪病院精神科に

同四九年三月一一日から同月一六日まで大阪赤十字病院精神神経科に

同年三月一七日から同年八月五日まで大和川病院に

同五〇年一二月八日から同五一年二月二一日まで○○○○病院に

(2) 通院

昭和四八年一一月三日から当分の間国立大阪病院精神科に

同四九年二月一三日から同五〇年一二月七日まで大阪赤十字病院精神神経科に。

3 太郎と原告らとの身分関係

原告花子は太郎の妻であり、その余の原告二名は同夫婦間の実子である。

4 損害額

太郎の生前の損害

(1) 入院雑費 二五万〇、五〇〇円

一日当り五〇〇円の割合による五〇一日分

(2) 休業損害 四四九万六、二八四円

太郎は昭和一二年一一月二八日生まれの本件事故前は健康であった男子で昭和四七年七月ころから家屋の内装(天井の間仕切)工事などを営業とする大阪市○○区所在のM株式会社(以下M社という。)に営業担当の従業員として勤務し事故前三か月平均で月額一四万一、二六四円の賃金を得ていたが、右事故による受傷のため事故当日の昭和四八年一月二三日から同五〇年二月一日X社に就職するまでの二四・五か月の間まったく稼働できず無収入であり、同所に同年一〇月三一日解雇されるまで勤務し月額一〇万円の収入があったが、事故前と比較して一月当り四万一、二六四円の減収となり、その後は前記の自殺までの四か月二〇日の間まったく無収入であった。したがって太郎の休業損害は標記の金額となる。

算式 一四一、二六四×二九・二+四一、二六四×九

(3) 慰藉料 二〇〇万円

同人の死亡による損害

(4) 同人の将来の逸失利益 二、〇九一万八、九二八円

同人は本件事故に会わなければ、死亡時から以後二九年間稼働しうるものと推定されるので前記の月収一四万一、二六四円を基礎とし、生活費控除を三〇%とし、年五分の割合による中間利息を控除する年別ホフマン計算法により算出した同人の将来の逸失利益の死亡時の現価は標記の金額となり、同人は同額の損害を被った。

算式 一四一、二六四×一二×〇・七×一七・六二九

(5) 慰藉料(太郎本人分および原告ら固有分合計) 八〇〇万円

(6) 葬儀費用(原告ら合計) 四〇万円

(7) 弁護士費用(原告ら合計) 一六〇万五、八九二円

以上合計 三、七六七万一、六〇四円

(四)  損害の填補

太郎は生前被告から三七八万八、八二四円の支払を受け、また、原告らは太郎が加入していた健康保険から三五万九、〇四六円の支払を受けたほか、被告車加入の自賠責保険から五〇〇万円の支払を受けた。

(五)  よって、原告らは太郎の被告に対する損害賠償債権を各三分の一ずつの割合で相続し、原告ら固有の損害額は前記の各合計額の三分の一ずつの割合であり、また、前記の損害の填補額も同割合でそれぞれ支払を受けたので、原告らは被告に対し、それぞれ残損害金として金一、一二六万一、二七四円(一、一一七万四、五七八円の誤算と認められ、のちに原告らは前記自賠責保険金五〇〇万円の受領を自認したが、これに伴う請求の減縮をしていないけれども、そのまま原告らの請求額に掲記する。)およびこれに対する訴の変更申立書(昭和五一年五月六日付)送達日の翌日である昭和五一年五月七日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告の答弁

(一)  請求原因(一)は認める。同(二)は否認する。同(三)の1のうち、太郎が死亡したことは認めるがその余は不知(なお、被告は内臓破裂を本件事故により負わせたことを認めたが、のちに右自白を撤回した。)、2のうち長原病院および国立大阪病院における入院は認めるが、その余は不知、3は不知、4は否認する。同(四)のうち、原告ら主張の被告および健康保険による金員の支払の点は認める。同(五)は争う。

(二)  太郎は本件事故前、他の車両に跳ね飛ばされて原告ら主張の場所に頭部を東に向けて転倒していたものであり、被告太郎は対面の青信号に従って先行車のタクシーに追従して約四〇キロメートル毎時の速度で南進していたものであるが、先行車が太郎を避けて右方に転把した直後黒い物体を発見し、それが人であると判明したのは四、五メートル直前であり、もはやブレーキを操作しても停車できない距離であった。被告に深夜御堂筋の路上中央付近に人が転倒していることまで予見して被告車を運転する注意義務を要求することは不可能であるうえ、当夜は雨あがりで路面が暗く、太郎は茶色のレインコートを着ていて直前に至らなければ人とは判らない状態であった。したがって、被告には同車運転上の過失はなく、かつ、同車が轢過したのは右前、後輪が太郎の右肩部の上を通過したもので、同人に内臓破裂を負わせたものではなく、また、同人は既に他の二台の車両に跳ね飛ばされて路上に転倒していたものであるから、それらの事故により頭部外傷Ⅲ型の傷害を負わされていたので本件事故と右の受傷、その後遺症ひいては同人の死亡とは因果関係がない。

(三)  仮に、被告が本件事故により太郎に頭部外傷の傷害を負わせたとしても、右外傷から通常自殺が予測されるとはいえないので、法律上、同人の死亡と右事故とは相当因果関係がない。また、同人の自殺は○○○○病院の従業員が太郎の手の届くところに荷造用の紐を置いていたという業務執行上の過失により発生したもので、仮に太郎の死亡が本件事故と相当因果関係の範囲内にあるとしても、その因果関係は右従業員の過失によって中断されている。

三  被告の抗弁

(一)  太郎は当夜深更まで飲酒して泥酔して帰宅のためタクシーを呼び止める目的で歩道から車道に出たとき他の車両に跳ね飛ばされたもので、仮に、本件事故の発生につき被告に過失があるとしても、太郎の前記の不注意も本件事故の原因として寄与しているので被告の賠償額の算定に当り七、八割の過失相殺による減額がなされるべきである。

(二)  本件事故と太郎との死亡については因果関係がなく、同人の死亡による損害については被告には賠償義務はなく、その生前の損害については昭和四八年一一月一七日太郎の代理人である同人の兄甲野太一と被告の代理人である丙川秋夫との間で被告が太郎に対し賠償金三八九万九、〇六七円を支払い、同人は被告に対しその余の一切の請求をしない旨の示談が成立し、被告は太郎に対し右承認金全額を支払っているので、原告らの本訴請求は理由がない。なお、太郎が太一に対し右示談締結の代理権を当時与えていなかったとしても、その後太郎は太一の右示談契約締結の意思表示を追認しているので示談は効力を生じている。

(三)  仮に本件事故と太郎の死亡との間に因果関係があり、被告は太郎の死亡による損害につき賠償義務があるとしても、前記のとおり○○○○病院の従業員の過失も右死亡の原因として寄与しており、右従業員の過失行為は被害者太郎側の支配内で生じたものであるから、同人の過失と同視して被告の賠償額の算定に当り応分の過失相殺による減額がなされるべきである。

(四)  原告らが自認する支払金のほかに被告は昭和五一年一一月九日原告花子に対し二〇万円を支払った。

四  原告らの答弁

被告の抗弁(一)は否認する。同(二)のうち、被告の主張の日被告の代理人である丙川と甲野太一との間で被告主張の示談契約が締結されたことは認めるが、その余は否認する、太郎は太一に右示談締結の代理権を与えていないし、また、それを追認したこともない。同(三)は否認する。同(四)は認める。

五  原告らの再抗弁

(一)  仮に、被告主張の示談契約が有効に成立したとしても、太一も丙川も太郎が国立大阪病院退院後もはや今後治療を要しない程度に同人の病状は治癒したと考えて、右の示談を締結したものであったが、現実には同人の病状は恢復しておらず、偏頭痛、もうろう状態、周期的気分変調などの外傷性てんかん症状が発現したのでその四か月後の昭和四九年三月一七日には大和川病院に入院し、その後前記のとおりの治療経過を経て自殺するに至っている。したがって、右示談には双方の意思表示の内容に重要な錯誤があるので右示談は効力を生じない。

(二)  仮に右主張が理由がないとしても、右示談書には「慰藉料」も含めて被告は太郎に対し三八九万九、〇六七円を支払ったと記載されているが、その支払金の明細を記した別紙内訳にはなんら「慰藉料」の記載はないうえ、右示談締結に際して丙川はあたかも一万円札で数百万円を支払うかのごとき素振りを示して太一に対し分厚いのし袋を交付したが、その中味は千円札が二〇〇枚入っているわずか二〇万円にすぎなかった。したがって、右示談は丙川が太一を欺罔して錯誤に陥れて成立させたものであるから、原告らは昭和五〇年二月二〇日の第一回口頭弁論期日において被告に対し、太一の右意思表示を取消す旨意思表示した。

(三)  仮に右主張が理由がないとしても丙川は太一に対し、右示談締結に際して「わしは金融屋をやっている。やっていることはわかっているやろ。」「頭おかしいのやったら松原に精神病院がある。そこやったらわしの口聞きで明日にでも入れてやる。そこやったら生かすも殺すも注射一本や、それでよいか。」「お前達の動向は全部調べてある。これで手を打って印を押せ。」などと脅迫言辞を弄して太一を畏怖させて右示談を成立させたものであるから、原告らは被告に対し前同様に太一の右意思表示を取消す旨意思表示した。

六  被告の答弁

原告らの再抗弁(一)ないし(三)は否認する。

第三証拠関係《省略》

理由

一  請求原因(一)の事実は当事者間に争いがない。

二  そこで同(二)の事実について判断するに当り、本件事故発生の状況についてみてみる。

(一)  前記請求原因(一)の事実に、《証拠省略》を合せ考えれば次の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》

1  本件事故発生現場は南北に通ずる歩車道の区分のある車道幅員約二八メートル、八車線のアスファルト舗装の平坦な市街地内の道路上で、深夜でも車両の通行量はかなり多く、同道路は公安委員会が南行の一方通行に規制し、最高速度を五〇キロメートル毎時に制限していること、当時、天候は雨上りの曇天で路面は湿潤していたこと。

2  太郎は薄茶色のレインコートを着て同道路の大江橋上の車道西端から中央(東)に向かって約八・六メートル、大江橋北詰めの横断歩道南端から南方に約一五・八メートルの地点に頭部を東に向け、足を西に向けて仰向けに転倒していたものであり、なお、大江橋北詰めには横断歩道の北側に東行一方通行の車道幅員約六・二メートルの東西に通ずる道路が南北道路とほぼ直角に交差していること。太郎が転倒していた地点は東西に通じている阪神高速高架下付近であるが、付近は大江橋上や前記高架に設置されている照明灯および周囲のネオンサインの照明によりかなり明るく約四〇キロメートル毎時の速度で南進する運転者はその約七〇メートル手前で自車の前照灯により路上に倒れている人間をそれと識別可能なこと。

3  被告は昭和四八年一月二二日は午後九時前ころから友人である乙山春男夫婦と共に難波や曽根崎新地のバー三軒で自分だけでブランデー水割六杯位を飲み、酔っていたが、バーで呼んだタクシーが来ないので、乙山夫婦を堺市内の居宅まで送り届けるため前記交差点から北方に二番目の交差点西側の新山本ビル前路上に駐車していた被告車の後部座席に同夫婦を同乗させて同車を運転し右折して本件道路に入り約四〇キロメートル毎時の速度で、前照灯は下向きにして、大阪三菱ビル前の西側緑地帯から東側二番目の車線を北から南に向かって進行し、大江橋上の西から三番目の車線に入ったが、その北詰めの横断歩道を通過したのち、約八・六メートル前方に太郎が前認定のとおり転倒しているのを発見したが、なんらハンドル、ブレーキ操作もせずにそのまま前進し、同車の右前、後輪が同人の身体に乗り上げるような状態で轢過し、その際、同車の下部が同人の頭部辺りと接触したこと。

4  同車が大江橋北詰めの交差点に進入したときは既に対面信号は赤色に変わっていたのではないかと一応疑われるが、証拠上、必ずしもそう断定することはできないけれども、被告は、当時酒に酔ったうえ、眠気を催し、運転能力は相当に低減しており、前方注視が不十分であったと認められること。そして、同車と先行車との車間距離は相当に離れており、被告は進路前方の視界は遮げられてはいないこと。先行車(タクシー)の運転者である山本三千彦は本件事故前路上に転倒している太郎にいち早く気付いて同車を右方に転把して同人との接触を回避していること。

5  他方、太郎は家屋の内装工事を営業とする大阪市○○区所在のM社の営業担当の従業員で昭和一二年一一月二八日生まれの健康な男子であるが、当夜は午後六時三〇分ころから同会社事務所近くの料理屋で催された宴会で幹事役を勤めたので同店では控え目に飲酒していたが、そのあと午後八時過ぎころから行った曽根崎新地のバーでは羽目をはずして多量に飲酒し、酩酊してろれつも回らなくなっており、二三日の午前零時ころには同僚などとも別れて一人になっていたことは認められるが、その後の行動は証拠上判明せず、同人の居宅が同市港区であるので、被告主張のとおり本件事故現場付近でタクシーを呼び止めるため車道上に出たのではないかと一応憶測はされるが、そう認定するには躊躇せざるをえない。

(二)  右認定によれば本件事故は被告が酒に酔ってたうえ眠気を催して注意能力が散漫になったため、前方を十分注視せず、至近距離に至って太郎を漸く発見し、その後もなんらハンドル操作等事故回避措置を採らなかった被告車運転上の過失により発生したということができる。なお、太郎の右事故に会うまでの行動は証拠上はっきりしないが、請求原因(一)の事実によれば大江橋北詰めの横断歩道上を青色の対面信号に従って東に向かって歩行していた同人をその北側の交差点を右折した他の車両が跳ね飛ばして路上に転倒させたものであるというのであり、その際同人は前認定のとおりかなり酩酊していて左方に対する注意は散漫になっていたため、安全確認をせずに歩行していた不注意があると認められ、その不注意も右事故発生の原因として寄与しているといえ、そして本件事故は前記の事故(以下、第一事故という。)を発端として時間的、場所的に接着して継起した右事故と連続性のある事故であるので、第一事故の発生に当っての同人の不注意は本件事故の原因としての不注意とみて差支えがないので本件事故は被告の過失と太郎の不注意が競合して発生したということができ、双方の寄与の割合は被告の過失を九とすれば、太郎のそれは一とするのが相当と思料される。そして、同人の後記の受傷は第一事故およびその後転倒している同人をさらに跳ねた右折車または南進車による第二事故に引き続き発生した本件事故により生じたものであり、それらが客観的にみて共同関連して競合した原因となって生じさせたものであり、事故発生の態様からみて第一、二事故の氏名不詳の各車両の運転者に前方不注視などの過失があることは明らかであり、かつ、被告車の太郎の身体に対する接触部位から同車による轢過が同人に頭部外傷を発生ないしは増悪させたと認められ、内臓(腸)破裂も本件事故前に既に発生していたと認めるに足りる特段の証拠もない(なお、《証拠省略》によれば同人の着ていたレインコートの右肩部にタイヤ痕があったことが認められ、前認定のとおり同人は頭部を東に向けて仰臥し、被告車はその右前、後輪で同人の身体の上を轢過したことは認められるが、第一、二事故の際の衝突ないし接触の態様、部位などの詳細が判明しない以上、前記の事実だけから内臓破裂が本件事故前に既に発生していたと認めることはできない。)以上、被告は第一、二事故の各車両の運転者などと共に民法七〇九条、七一九条一項により共同不法行為者として前記運転者などと連帯して三個の事故が全体として一体的に太郎に生じさせた受傷に由来する相当因果関係の範囲内の損害を、前記の双方の過失割合などをしん酌して過失相殺による減額をした限度で賠償すべき債務があるといえる。

三  そこで、前記第一、二事故を含めて本件事故により生じた損害について検討する。

(一)  《証拠省略》によれば次の事実を認めることができ、右認定に反する適当な証拠はない。

1  太郎は右事故により頭部外傷Ⅲ型、内臓(腸)破裂などの傷害を被り(なお、内臓破裂の点は被告は当初被告車の轢過によることを認めたのち、右自白を撤回したが、右自白が真実に反し錯誤に基づくものとは認められないので右の撤回は許されない。)、その治療のため原告らが請求原因(三)の2に主張のとおり入、通院したこと。太郎は同(三)の1に主張の日時、場所でその主張の方法で自殺して死亡したこと。(なお、長原病院および国立大阪病院における入院、同人の死亡の事実自体は当事者間に争いがない。)

2  同人は長原病院では開腹手術を受けるなどして主として内臓の治療を受けたが、入院当初一〇日間位意識が混濁し、妻花子をそれと弁別できず、「ここは北海道や。」「遠い所を飛行機で来たのか、こんな寒い所に来んでもよいのに。」などと言って自分の所在場所の見当識がなかったこと。その後も不眠、多動、徘徊などの異常な行動が多発したので国立大阪病院に転医されることになったこと。太郎は長原病院での行動についてその後想起することができず、その健忘状態は受傷後三か月間位続き、本件事故前の逆行性健忘は七、八時間に及ぶこと

3  国立大阪病院に移ってからも病院での指示、規律に従わず、自分勝手な振舞が多く、治療関係者、他の患者などといさかいが絶えず、また、昭和四八年六月ころからは土、日曜日に帰宅を許可されて自宅に帰っていたが、食事が待ち切れず家族四人分のおかずを全部食べてしまったり、外で無銭飲食してその店主に代金は払ったと嘘を言ったり、妻に熱しているアイロンを投げ付けたり、殴打するなどの暴行を加えたりし、またラジオを投げたり、包丁を持ったりする粗暴な行為が目立ったこと。同病院退院後は四、五日してM社に昭和四八年一一月は隔日に、一二月は休日を除き毎日一日二時間位ずつ勤務するようになったが昭和四九年になってからは余り会社に行かず京都や奈良などに行って遊び、また、他人の自動車を無断で乗って帰ったことが五、六回あり、妻がその置かれていた場所を尋ねても知らないと答えたこと。自宅で「こんなもの読めるか」と言って石油ストーブの上で新聞や雑誌を燃やしたことが何度かあったこと。

4  大阪赤十字病院入院中も無断外出や病院の庭に木を植えると言って無断で一面に穴を掘ったりするなどの行為があり、同病院の退院の際迎えに来た妻から自分で離れて所在が判らなくなり、その後帰宅して妻に対し「迎えに来るかと思ったら来ない。途中でほったらかしにした。」と言って窓ガラスに物を投げたり、これを制止した子を殴打したりしたこと。昭和五〇年二月にX社に勤務するようになってからも、伝票整理、会計帳簿の記帳などの事務はほとんどできず自動車で荷物の配達をする仕事に従事しても、荷物を配達先に届けなかったり、自動車を路上に駐めてそのまま事務所に立ち帰り、雇主には「ちゃんと行って来た」と報告するなど無分別な行為があり、同年六月ころには妻に無断で親戚の家に泊ったり、ガード下や、公園で寝て夜を過したりしたこと。

5  ○○○○病院に入院中も多弁で理屈が多く、自己顕示性が強く、気分が変動して安定せず、頑固執拗で、治療関係者に対し反抗的で、また他の患者の行動に干渉していさかいが生じることが多く、自己の欲求が通らないと不満を抱いて被害念慮が強くてこれを訴え、また虚言癖があり、「土地が売れて八億円手に入る。」などと言ったり活動的な反面、呆然として活気がない時間を過すこともあったこと。

6  太郎は昭和四八年一〇月一七日国立大阪病院入院中意識消失を伴う強直性のけいれん発作を起し、また、同年一一月末ころ夜自宅で就寝中も同様な発作が発現したほか、自宅に居るとき就寝中手足の小さなけいれんは数秒間ではあるが屡々起していたこと。昭和四九年三月二三日の大阪赤十字病院での診断では頭部の気脳写真による所見上両側脳室の中央部より前角にかけての拡大、第三脳室が幅一二ミリメートルになって拡大していることが認められ、大脳前頭葉の萎縮が推断され、国立大阪病院で受けた四回の脳波検査ではいずれも全領域に低振幅徐波の混入が多く、異常または境界的と診断されており、同病院および大阪赤十字病院で受けた知能検査、対語試験による記銘力検査、クレペリン検査の所見上は顕著な異常はないが、同年二月二一日大阪赤十字病院で受けたロールシャハテストの検査結果では未熟人格、反応内容の貧困、脱抑制、軽躁傾向、生産力の低下、反復、固執傾向、不適切な着想の表出など人格の統合力、現実対応力の低下、情緒の不安定性を示唆する成績が認められ、また、昭和四八年四月二三日国立大阪病院で受けた矢田部ギルフォード性格検査の結果では非協調的、攻撃的など社会的不適応、衝動的、活動的、社会的外向で内省を欠くなどの性格的特徴が表出されていること。

7  太郎は八人の同胞の六番目の子で小学二年のとき父と死別し、石川県の高校を中退したが、学業成績は良く、その後自動車運転手などをして勤務先を転転とし、また簿記第三級の資格を取得して会計帳簿の整理などもでき、昭和三七年ころ原告花子と結婚して二児をもうけたが、本件事故に会うまでは性格的には、酒好きであるが温厚で人付き合いも良く、情緒的にも安定し、妻子にも愛情をもってやさしく、家庭および職場、近隣関係で波風を立てない生活を送っていたことが認められる。

8  自殺前は、多少経済的な面で心配はしている様子であったが、自分や家族の現在および将来の生活、社会復帰など諸般の面につききわめて無頓着であったこと。

(二)  右認定によれば太郎の内臓破裂の傷害は長原病院での治療により治癒したものと認められるが、頭部外傷の傷害により同人は受傷後しばらくして早い時期から外傷性てんかん症状が発現し、周期的な気分変調があり、時折もうろう状態に陥って異常な行動をするが、その行動の記憶がなく、かつ、前頭葉の萎縮により性格の基調に変化を来たし、自己の意思による感情や衝動の制禦ができず、情緒的に不安定で感情の起伏が激しく衝動的に無分別な異常な行動に走り易い危険な性格になっていて、人格は荒廃していたと認められ、同人の自殺は、自分や家族の生活につき日々悩み続けて思い余って死を選ぶようないわゆるうつ病型の自殺とは異なり、その動機は証拠上はっきりしないが、鑑定人乾正作成の鑑定書および大阪赤十字病院の調査嘱託に対する回答書が述べるとおり、さしたる動機はなく、前記の外傷性てんかんによる周期的気分変調、もうろう状態、前頭葉の萎縮による性格の変化のいずれかが、或いはそれらが複合して契機となって衝動的に自ずからの手で自分の命を断ったものと認められ、それらの症状は同人が本件事故により被った頭部外傷が原因となって生じたものであり、《証拠省略》によれば頭部外傷から外傷性てんかん症状などを来たし、それが原因となって自殺に至る症例は比較的稀であることは認められるが、必ずしも予見しえない異例な症例とはいえないので同人の自殺は本件事故と相当因果関係があるといえる。

(三)  なお、被告は○○○○病院の従業員が太郎の手の届くところに荷造用のビニール製の紐を置いていた業務執行上の過失を主張して本件事故と自殺との因果関係の中断ないしは被告の賠償額算定についての過失相殺を主張するが、前認定のとおり、同病院に入院中太郎は自己顕示性が強く、情緒的に不安定で、治療関係者に反抗的で他の患者とのいさかいも多かったが、太郎に自殺を示唆する徴候があったと認めうる証拠はなく、かえって、同人は外見上、生活の不安とは没交渉に日々無頓着に振舞っており、てんかん患者が自殺する症例は比較的稀であることから同従業員が太郎の手の届くところに前記の紐を置いていたとしても、同従業員が太郎の自殺を故意にその機会を与えて招致したとも、これを招致した或いは防止しなかった重大な過失があるともいえないので被告の因果関係の中断の主張は理由がない。そして同従業員は治療機関である病院の被用者として太郎や原告らとは独立した立場に立って太郎の治療および看護などの職務を担当しているものであるから、同人や原告ら側の者とはいえないので、仮に同従業員に太郎に対する看護上の過失があったとしても、それを根拠に被告の賠償額の算定に当り過失相殺による減額をするのは相当でないと思料される。

(四)  《証拠省略》によれば、原告花子は太郎の妻であり、原告甲野一郎および同甲野二郎は同夫婦の実子であることが認められる。

(五)  前記の認定を前提として損害額の明細についてみてみる。

1  太郎の生前の損害

(1) 入院雑費

経験則上、太郎の前記各病院の入院期間中一日当り五〇〇円の雑費を要したと認められるので、その四六二日分(国立大阪病院の入院期間中昭和四八年六月からは、土、日曜日は自宅に帰っていたから同月一日以降同年一一月二日までは入院日数はその期間の七分の五として計算し、なお、昭和五一年二月二一日は自殺が同日未明であるので、同日は入院日数に入れなかった。)は二三万一、〇〇〇円となる。

(2) 休業損害

《証拠省略》によれば太郎は原告ら主張の年令の本件事故前は健康であった男子でその主張の会社に勤務し、右事故前三か月間に月額平均一五万円の賃金を得ていたが、右事故による受傷のため、昭和四八年一月二三日から同年一一月六日ころまで勤務を休み、同月七日ころからM社に隔日に二時間ずつ勤務し、同年一二月は休日以外は毎日二時間ずつ勤務し、翌四九年一月からはほとんど出勤せず早々に解雇され、その後は同五〇年一月三一日まで稼働せず翌二月一日から同年一〇月三一日までX社に勤務し、月額一〇万円の賃金を得たが、その後は死亡するまで稼働しなかったことが認められ、右の休業期間および就労状況は同人の病状、治療経過などからみて相当性であるから、同人の休業損害は

イ 昭和四八年一月二三日から同年一一月六日までは一四二万二、五八一円

算式 一五〇、〇〇〇×(九+一五/三一)

ロ 同月七日から同年一二月三一日までは二四万七、五〇〇円

算式 三〇〇、〇〇〇-(一五〇、〇〇〇×二四/三〇×一/二×二/八+一五〇、〇〇〇×二/八)

ハ 昭和四九年一月一日から同五〇年一月三一日までは一九五万円

算式 一五〇、〇〇〇×一三

ニ 同年二月一日から同年一〇月三一日までは四五万円

算式 五〇、〇〇〇×九

ホ 同年一一月一日から翌五一年二月二〇日までは五五万三、四四八円

算式 一五〇、〇〇〇×(三+二〇/二九)

合計 四六二万三、五二九円となる。

(3) 慰藉料

本件事故の態様、太郎の受傷、治療経過その他諸般の事情をしん酌すれば同人が右事故により被った生前の精神的苦痛に対する慰藉料は一四〇万円が相当である。

2  同人の死亡による損害

(1) 同人の将来の逸失利益

同人は死亡時三八才であり平均余命は三六・五三年であり、もし本件事故に会わなければ六七才までその後二九年間稼働して収入があると推定されるので、前記の月額一五万円の賃金額を基礎として生活費控除を三〇%とし、年五分の割合による中間利息を控除する年別ホフマン計算法により算出した同人の将来の逸失利益の死亡時現在の現価は二、二二一万二、九一八円となり、同人は同額の損害を被ったといえる。

算式 一五〇、〇〇〇×一二×(一-〇・三)×一七・六二九三

(2) 慰藉料

本件事故の態様、太郎の死亡、同人と原告らの身分関係、太郎は妻子を扶養している働きざかりの一家の支柱であったことその他諸般の事情をしん酌すると、同人の死亡により被った各人の精神的苦痛に対する慰藉料は

イ 太郎本人の分 二〇〇万円

ロ 原告三名の各固有分 各二〇〇万円ずつ

と認めるのが相当である。

(3) 葬儀費用

経験則上、太郎の葬儀を妻の原告花子が主宰し、その費用に四〇万円を要し、同原告がこれを出捐して同額の損害を被ったことが認められる。

(六)  そうすると太郎の損害額は前項の1の(1)ないし(3)および2の(1)、(2)の同人分の慰藉料合計三、〇四六万七、四四七円、原告花子のそれは2の(2)の同原告固有分の慰藉料と(3)の合計額二四〇万円、その余の原告二名のそれはそれぞれ2の(2)の各同原告固有分の慰藉料各二〇〇万円となる。そして、原告らは太郎加入の健康保険から三五万九、〇四六円の支払を受けたことは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨からそれは原告三名に一一万九、六八二円ずつ配分されて損害が填補されたと認められるから、これを控除すると原告花子の残損害額は二二八万〇、三一八円、その余の原告二名のそれは各一八八万〇、三一八円となる。

四  前記の各人の損害額ないし残損害額について前記二の(二)に説示の被告と太郎との過失割合などをしん酌して過失相殺してその一〇%を減額した太郎につき二、七四二万〇、七〇二円、原告花子につき二〇五万二、二八六円、その余の原告二名につき各一六九万二、二八六円が各人の被告に対する損害賠償債権額となるが、太郎に対し同人の生前被告が三七八万八、八二四円を支払ったことは当事者間に争いがないのでこれを控除すると太郎の残債権額は二、三六三万一、八七八円となる。なお、被告は太郎に対し生前三八九万九、〇六七円支払った旨主張し、その主張に副う《証拠省略》記載はあるが、《証拠省略》によれば右金額中には損害賠償金の支払とは認められない見舞品の購入代金や、被告の従業員である乙川夏夫が入院中の太郎を見舞ったときなどに費消したタクシー代金合計一二万三、六三五円が含まれていることが認められるので、被告の右主張は理由がない。

そして原告らは太郎の前記の残債権を各三分の一ずつの割合でそれぞれ七八七万七、二九三円ずつ相続して取得し、原告らが被告車加入の自賠責保険金五〇〇万円の支払を受けたことは自認するところであり、弁論の全趣旨から右金員は三分の一ずつの割合でそれぞれ一六六万六、六六七円ずつ各原告に配分されて各債権の弁済に充てられたと認められ、また昭和五一年一一月九日被告が原告花子に対し二〇万円を支払ったことは当事者間に争いがないので、これらを控除すると、結局原告らの残債権額は原告花子につき八〇六万二、九一二円、その余の原告二名につき各七九〇万二、九一二円となる。

五  なお、被告はその抗弁(二)において示談の成立を主張するのでこの点につき判断する。

被告主張の日被告の代理人丙川秋夫と太郎の実兄である甲野太一との間に被告主張の内容の示談契約がなされたことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》を総合すれば、太一は太郎から右示談締結の代理権を与えられていたことが認められ(る。)《証拠判断省略》しかし、《証拠省略》によれば、太一は示談が成立した昭和四八年一一月一七日ごろには、太郎が国立大阪病院を退院し、M社にぼつぼつながら勤務し始めており、同病院の医師も「入院の必要がないから、しばらく自宅療養したらどうか。」と言ったことから太郎の受傷はその後快方に向い近い将来治癒して同人は社会復帰して従前どおり稼働するものと考えて右示談に応じたものであることが認められ、《証拠省略》によれば右示談金額三八九万九、〇六七円はいずれもそれまでに被告が既に支払ったり、出損したりした金員であり、太郎の休業損害の補償は同年一〇月分までの賃金に対するだけのものであることが認められる。そうしてみると右事情は太一が示談に応じた動機ではあるがそれはその成立の際に太一によって丙川に対して表示され、同人も右事情を了知してそれを前提として双方の間で示談が締結されたと認められ、したがって右の動機は太一の示談契約締結の意思表示の内容になっているといえる。しかし、前認定のとおり、太郎の病状は大脳の器質的および機能的な障害に基因するものであったため、当時当面は快方に向うように見えたが、間もなく異常な行動を繰り返すようになり、正常に稼働できず、社会復帰はおろか各病院に入、通院したうえ病院内で自殺するに至ったものであるから右示談に応じた太一の動機には重要な錯誤があると認められるので、右示談契約は効果を生じていないと認められる。

六  そして、本件事案の内容、訴訟経過、その難易度、前記認容額などを勘案して原告ら主張の各五三万五、二九七円ずつの弁護士費用の請求も理由がある。

七  以上説示の次第で、被告は原告花子に対し残債務および弁護士費用合計金八五九万八、二〇九円、その余の原告二名に対し前同様に各金八四三万八、二〇九円および右各金員に対する訴の変更申立書送達日の翌日である昭和五一年五月七日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるので、右の限度で原告らの被告に対する本訴請求を正当として認容し、その余の請求は理由がないので失当として棄却し、訴訟費用の負担および仮執行の宣言につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項、一九六条一項を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 片岡安夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例